・暫く更新できませんでした。実は静岡に住む父がこの夏、熱中症で病院へ搬送されるというできごとがありまして、医師の治療で事無きを得たのですが、母も私たち夫婦も弟夫婦も大変心配し、入院中そして退院後も交代で父の元へ詰めているような状態でした。
思えば自分たちの店でこの仕事を続けて来ることができたのは、お客様、そして働いてくれた人々のお陰であることは勿論のこと、サポートしてくれた私の親や家内の母によるところが大きかったのもまた事実です。家内も店で手一杯だったことから子どもが小さかった頃のたとえば幼稚園の送り迎えは、専ら家内の母に頼んでいました。息子の幼稚園への通園路に小高い山があり、ある朝そこからヘビの亡き骸が道路に出て、幼稚園にお子さんを連れて向かう若いお母さんたちが悲鳴をあげて通っていた時、とっさに家内の母が落ち葉を集め、その亡きがらを隠したところ、お母さんたちから「さすがJ君のおばあちゃま」といわれたわと、義母が笑って話してくれたことがありました。家内が仕事に手をとられている時の夕食の支度は義母がしてくれましたので、子どもたちは小さい頃母親のごはんよりもおばあちゃんのごはんで大きくなったという思いを持っているかもしれません。その義母も数年前に他界しましたが、いまでも家内は迷うことがあると、心の中でよく母に相談するといっています。
私の両親も、私たちが店を続けていく上でたいへん力になってくれました。家具職人だった父は焼き菓子を乗せる大きな棚や、洋菓子製造の工程で作業をし易くするための台など、夜を徹して製作し届けてくれたのでした。母も農家ではないのですが、自分でさまざまな工夫を凝らしさまざまな野菜を作っては孫たちのために、送り届けてくれました。
今回のことで、父の体を心配し以前にもまして帰省するようになった私たち家族に、毎回毎回野菜やお茶の葉を持たせ、五人いる孫の中で唯一の女の子であるうちの娘のことを見るたびに「Mちゃんは本当に綺麗になった、綺麗になった」と嬉しがるので、娘がてれていました。帰りにさかなセンターでも寄って子どもたちにトロやウニのお寿司食べさせて帰りなさいよといって、もう50代になった私に小遣いを持たせようとする、母にとっては私はいつまでも子どもなのでしょうか。常に味方になり励ましてくれた親たちがいたから、こうして働いて来れたのだろうと思います。これからも、心をこめてしっかりとした仕事をしていこうと思います。
今年のクリスマスはお子様に人気のケーキを中心に、チョコレートのクリームの配合にもさらなる工夫をしておとな向けの味わいのケーキも取り揃え準備をしようと思います。












